棟方志功のドラマを観たのね。
版画で有名なひと、ぐらいの知識しかなかったんけど、
ドラマを観て思ったんは、
表現者としてのスタイルの在り方
とゆうことだったん。
というのもね、
こないだ花村萬月がテレビで、
「小説を書くときは、なるべく自分を出さないようにしている」
つっててさ。
「自分というものを徹底して排除して排除して、
それでも残ってしまうものが『個性』なんじゃないかな」
て言われて、なんか自分を肯定された気がしてたの。
曲とか歌詞とかを書いてるボクですが、
それらは自分のルーツに正直に書かれたものではないな、
てことをいつも思ってて。
ボクのルーツは、
U2だとか、アリスクーパーだとか、はたまたポイズンだったりとか。
ロックンロールやハードロックなわけですよ。
それがね、
自分で書いてる曲っていうのは、日本語のポップスでしょ?
や、キャロル・キングとかビリー・ジョエルも好きだけどさー。
日本語ポップスって、正直ちゃんと聴いたことないし。
だから、花村氏の言葉は、なんか嬉しかったんよね。
ボクの曲たちにも、ちゃんと個性は出てるんじゃなかろうか、ってさ。
ところが、棟方志功の作品は、モロ「自分」。
自分の感じたまま、思ったまま、吸った空気のまま、
作品に叩きつけているのね。
そういえば、今日読んだBECKの34巻にも、
「世間に溢れてるうわっつらの音楽じゃなくて、
ほとばしるような情熱を持った音楽がほしい」てなセリフがあり、
あー、うわっつらな曲作ってんなぁ俺、とか思ったんよねぇ。
「自分」をそのまま叩き込んだ、渾身の曲作り。
ボクにもできるんだろうか?
でも、熱~い曲書くのって、照れがあってできんしなぁ。。。
などなど、
今日の夜から新曲を仕上げようと思ってた矢先に、
そんなことなどを徒然と思索していた次第でござる。
んで、結局、
やっぱり花村萬月スタイルでいこうと思ってるん。
楽なの好きっスから、自分。
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